【目次】日中・中間線「白樺油田」共同開発の実行を!/日本滅ぼす「101本目の法律」/石原慎太郎氏の「日本よ」中央集権の打破こそが 2012/05/15 3:38 日高よし子
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一昨年の中国漁船が海保巡視船に体当たりしたのに日本政府は船長を実質「無罪放免」した<下記の石原慎太郎氏の【日本よ】に関連記事>。職を賭して「事実」の動画をYOUTUBEに投稿した元保安官一色正春氏のような人物がいなかったら、世界中で「貧しい中国の民間漁船が漁をしている処に日本の海保船がぶつかってきた」という中国の一方的言い分が流布していた事だろう。
これに危機感持った尖閣所有の民間人が人を介して石原都知事に購入打診をしたというのが今回の流れだった。
杞憂どおり現在、中国艦船は日本の尖閣領海内に入り込み日本の海保巡視船がその由を告げると反対に海保に対し「中国の領海内だから出て行きなさい」と応えるとか。だから、最近とみに中国は尖閣を「核心的利益」と言うようになった。ウイグルやチベット、内モンゴルの自治区のように。完全に尖閣を獲りにかかっているのである。
日本の国会議員は一体なに考えているのか。日本の国益よりも、中国の国益を優先しているではないか。
中国が尖閣を「核心的利益」と主張すれば、日本はこの日中「中間線」の「白樺油田」の共同開発工事の実行を、と訴えればよいのだ。
この日中・中間線に関して故中川昭一氏は表向き発言の時は「中間線上の日本の白樺油田」を共同開発するなど・・・と中国の顔を立てていたが、裏では官僚たちに「よくここまでこぎつけたな」と労っていた(産経新聞・阿比留記者記事より)そうです。
【日本よ】の石原慎太郎 中央集権の打破こそがーーの主張も先ず、国防充実が必定で(徳川の藩閥政治の頃は日本は鎖国していた)又、分権の枠組みを(過疎地の扱い)をどうするのかというのも明らかに示して国民の不安を払拭すべきと思う。
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産経新聞平成24年5月14日付より
【野口裕之の安全保障読本】 日本滅ぼす「101本目の法律」
中国漁船領海侵犯事件では、近海に自衛隊護衛艦が遊弋(ゆうよく)していたが、海上警備行動が下令されず、領海外への退去命令さえ適(かな)わなかった。そこで、平時でも主権=領土・領空・領海を守護できる領域警備法を超党派で成立させる動きがある。しかし、小欄は「あえて」法制化に反対する。同法が「101本目の法律」であるからだ。
わが国は、安全保障上の100個の事態に100本の法で対処する。これでは101個目の事態が起これば、101本目の法律が必要となる。斯(か)くして法律は増殖し続け、既存法との整合性を図ることもあり肥大・複雑化する一途(いっと)。北朝鮮からの弾道ミサイルが約10分で飛来する現代戦にあって、その愚鈍な法体系は一線の指揮官の判断に重くのしかかっている。
そもそも、国 従って、政府が「主権侵犯した組織・個人に、国際法の範疇(はんちゅう)で必要な措置と行動を採れ」と命じるだけで、本来はよい。後はROE=交戦規定に則(のっと)り例えば、退去命令→威嚇射撃→船体射撃→撃沈などの段階を踏むだけ
家は独立時に主権を守る権利・義務が生ずる。国際法上の「自然権」である。人が生まれた瞬間に、息を吸ってよい権利と同じだ。
4月の北の弾道ミサイル発射時に、自衛隊法に基づき事前に下された「破壊措置命令」も、漁船事件対処と同根の病巣を抱える。確かに、飛翔(ひしょう)物体が日本領域に落下し、国民の生命・財産への被害防止が求められる際、防衛大臣は破壊命令を発令できる。
だが、まともな国にこの種の法は存在しない。軍の任務は国家・国民守護に尽きるからだ。これまた自然権の発露。逆に問いたい。「創隊以来、自衛隊の根源的任務は何だったのか」と。
軍の権限は「原則無制限」で、予(あらかじ)め禁止した行為・行動以外は実施できる「ネガティブ・リスト」に基づく。軍は外敵への備えで、国民の自由・権利侵害を前提としないためだ。一方、警察活動は逮捕など国民の自由・権利を制限する局面があり「原則制限=ポジティブ・リスト」となっている。
自衛隊は警察同様、実施できる行為・行動を一つ一つ法律で明示し縛るポジ・リストを前提にする。これでは、奇襲や政府の判断ミス、伝達手段の不具合で、破壊が命令されない場合、ミサイルは迎撃できない事態に陥る。
歪(いびつ)な法体系の源流には、自衛隊の前身=警察予備隊・保安隊の生い立ちがある。両隊は、警察の対処が不可能、又は著しく困難な場合の補完組織として法制上位置付けられた。ところが、自衛隊になってもその位置付けが法制上引き継がれた。軍事組織なのにポジ・リストが適用され、自衛隊の行動や自衛隊への命令は、全(すべ)て法律の担保が必要となってしまったのだ。
ネガ・リストへの大転換には「大手術」が必要だ。即(すなわ)ち(1)海上警備行動など、自衛隊の行動に必要な法条文を防衛出動以外全て削除(2)その上で国家主権と国民の生命・財産を守るべく、国際法の範囲内で武器使用を含むあらゆる手段を尽くす-と明記すればよい。これで、国内の秩序維持以外、奇襲といった外国組織による第一撃へは、指揮官の判断で応戦が可能になる。
しかし、国家としての戦争容認命令=防衛出動は残す。仮に太平洋で中国海軍艦の攻撃を受けたら当然、応戦・撃沈できる。が、同時期に大西洋で中国海軍艦を撃沈するには、防衛出動下令が前提になるためだ。
ところで、日本の安全保障環境は全て平時/有事に峻別(しゅんべつ)される。だが、列車事故やダム決壊は当初、テロか事故かは判然としない。朝鮮半島・台湾危機では、日本も「無傷」ではいられない。こうした想定外やグレーゾーン事態にポジ・リストで対処すれば、必ず「101個目の事態」で足踏みする。
わが国を滅ぼすのに、害意ある外国は、防衛出動下令が明白な戦争を仕掛ける必要はない。一歩手前のグレーゾーンを飛び出さない「101個目の事態」を起こせば、法律で担保されておらず、手も足も出ないだろう。
【日本よ】産経新聞より
石原慎太郎 中央集権の打破こそが 2012.5.14
当節いろいろ揣摩臆測(しまおくそく)されているが東京、大阪、名古屋、東の首都圏、大阪を芯にした関西圏そして中京圏と、この三大都市圏が連帯して行おうとしているのは中央集権の打破、国家の官僚の独善による国家支配の改善に他ならない。
私は決して国家官僚の存在を否定するものではない。明治維新の中で秀でた英傑だった大久保利通が確立した官僚制度は日本が近代国家として進むための絶対必要条件であったことは自明である。しかしそれが行政の主体者として自らを絶対化してしまうと国家の舵(かじ)取りは硬直し、進路を過ちかねない。
私が閣僚を務めた時いつも彼等自身から聞かされた彼等の美点? なるものは、継続性(コンティニュイティ)と一貫性(コンシステンシー)ということだったが、変化の激しいこの現代に、そんな姿勢で変化に対応できる訳がない。エリート意識で身を固め中央でふんぞり返り地方の現場には精通せず、すでに陳腐な方法論で地方を支配してきた中央集権体制がこの国に大きな歪みを作ってしまったのだ。
間近な過去を振り返ってみれば、戦後この国を良くしたのも官僚、駄目にしたのも官僚ということになる。戦後の日本を支えてきた政治家たちの中にも官僚出身の立派な政治家が何人もいた。
総理となった岸信介や賀屋興宣、椎名悦三郎といった人物の見事さは、戦前戦中絶対的存在であった軍部の軋轢(あつれき)に抵抗して理を通した経験に依(よ)るものだった。岸は戦争中総理の東条英機に反抗して内閣を総辞職に追い込み、賀屋は軍縮会議で海軍に反論し、腹をたてた山本五十六が命じた手下の山口多聞に殴られまでした。
その後輩の官僚たちもある時期までは先輩の薫陶の元に、国益を守るためには職を賭して反対もした。例えば田中内閣当時、今日の堕落しきった外務省の多くの役人とは違って、田中総理が一方的に決めようとした日中航空協定に関しては、両国の外務大臣の間に取り交わされていた密電を、協定の内容に反対していた青嵐会の我々に暴いてまでして一緒に抵抗してくれた。両国首脳の密約を暴きながら、「こんな外交があるものでしょうか」と、出された飯も食べずに泣いて悔しがっていたような官僚は、今ではもういない。今日彼等の美風? なるものは、自らの保身のためのその場しのぎの先送りか事実の湮滅(いんめつ)でしかありはしない。
一体何を恐れてか、国益の進展のために東京が唱えている東京都内にある膨大なアメリカの空軍基地の、せめてもの共同使用を妨害してかかる外務省にとっての国益とは一体何なのだろうか。
シナの覇権主義の危険にさらされている尖閣諸島での工作船の海上保安庁の艦船への強引な体当たり犯人の船長を、一地方検事の判断だと責任をなすりつけて釈放させ、彼を迎えに来るシナ政府の高官のために無理やり石垣空港を真夜中に開けさせ、犯人を英雄に仕立てる相手の作業に手を貸すしぐさは、外交という名にほど遠い売国に他なるまいに。
国に先んじて地方が行って成功したことを国の官僚は何の沽券(こけん)でか絶対に習うことはない。国の役人の放漫な財政を隠すために、先進国だけではなく他のほとんどの国が行っている、東京都が率先して採用した発生主義複式簿記を採用しようとはしない。日本の周辺で大福帳なみの単式簿記を行っているのは北朝鮮とフィリッピン、パプアニューギニアくらいのものだ。だからこの国には正確なバランスシートもないし国民が国の財政を見極めるための財務諸表もありはしない。
志のある地方の首長たちが地方の事情に鑑みた新規の教育方針を立てようとしても、教育の指針はあくまで文部科学省がきめるので余計なことをするなと規制してかかるが、その自分たちがやったことといえば現今の教育水準の低下を無視した「ゆとり教育」などという馬鹿げた方針で、わずか一年でその弊害が露出してしまい、心ある学校は通達を無視して従来の教育指針でことを行っていたのに、愚かな通達が撤回されたのははるか後のことでしかない。
一事が万事であって地方の建設的な意見や試みはほとんど無視され、国の理解と協力を得ることはまず至難といっていい。
土台、全国知事会なるものの知事の顔ぶれを見ればその六割以上が中央官庁出身で、何か国に先んじての提案を決めはしても最後は出身してきた古巣の役所の意向を質(ただ)し、役所は予算を握って居る財務省の顔をうかがって大方は無視されて終わる。
そうした基本的実態がある限りいつまでたっても地方の意見は中央に届きにくく、地方分権だの、まして地方主権なんぞは絵空事でしかありはしない。それぞれ地方に選挙区を構える政治家たちも、国会をあやつる中央官僚に頭をなでられるままで、私はそんな自民党に愛想をつかして脱退したが、官僚にまかせず政治家の主体で行う政治を唱えて政権をとった民主党は無能の域を出ず今の体たらくだ。
日本の政治の健全化のためには多少の意見の相違はあっても、地方が強い連帯を組むことからしか日本の改革は始まりはしない。明治維新を行った反幕府の諸藩、薩摩、長州、佐賀、土佐といった藩の間にさまざま唱えるところの違いがいかにあったかを思い起こして見るがいい。しかるになお、それを超えることだ。幕府の統治という基本体制を破壊することであの維新はなりたったではないか。















by 花うさぎ
国防の為「国民投票法」施行を